近世佐倉城は、1610年(慶長10)土井利勝が佐倉に入封して、約7年の歳月をかけて1617年ころに竣工したといわれ、その立地場所は中世に本佐倉城主であった千葉氏が築城を試みた跡といわれている。
そうした城跡は、今は「佐倉城址公園」として市民の憩いの場所になっており、市民対象の各種アンケートでも、「好きな場所」、「友人に紹介したい場所」としていつも上位にランクされ、佐倉の誇る歴史公園になっています。
多くの城下町では、城跡には半ば観光目的のように城門や天守閣を造り、地域おこしや集客に利用しているが、佐倉城跡にはそうした建造物が一切ないにもかかわらず、こうも人気があるのはなぜであろうか。
勿論、規模の大きい見事な空堀の遺構のような、城の縄張り地形が良好な姿で残っていることも挙げられるが、それ以上に訪れる人に強い印象を与えているのが、城跡の地形に溶け込んだ見事なまでの緑豊かな樹木の景観といえる。
「堀」や「馬出」といった城の縄張り的なものや、本丸御殿の往時の様子を聞いて興味を抱く人も多いと思います。しかし、佐倉城跡の一番の魅力は、やはりこの生い茂る樹木の景観ではないだろうか。景観自体は歴史遺構とは言えないかもしれないが、明治以降、長い間の保存努力の証として、これほどまでの景観が保たれているのは、全国的にも極めて稀であるといえる。
特に新緑の季節など、木々の緑、青葉の匂い、鳥のさえずり、風のざわめき、全てが五感を癒してくれます。
このような樹木の景観に恵まれた佐倉城跡には、「まちおこし」や「観光開発」の潜在的魅力が備わっており、これらを活かすことによって地域振興にも大きな効果が生まれるのではないでしょうか。
まちの活性化には、近隣や遠方からも人が集まる魅力が必要で、「人の集まる所に消費あり、消費があれば活気が蘇る」というサイクルにつなげることができます。この佐倉城跡の素晴らしさを創造的に活かせば、多くの来訪者を佐倉に引き付ける魅力アップにつながり、まちづくいりや地域活性化の底力になる可能性は大きいと思われます。
佐倉市では2010年からまちづくりの柱として、「佐倉城下町400年記念」と位置付けた様々な行事を実施していますが、魅力に溢れたこの城跡をもっと創造的に生かす取り組みによって、地域活性化や観光開発にも効果が期待できるものと考えています。
単年度に行う行事やイベントも、そうした全体構想の下に体系的に位置づけて、市民協働で取り組むのが望ましい姿といえるのではないでしょうか。
≪2010年7月 記≫
標識にはいろんな種類、分け方があるが、ここでは案内標識、特に観光地における『案内表示(板)』について考えてみたい。
佐倉でも旧城下町地区には観光目的の来訪者が多く訪ねてきます。その人たちに、現在地は? 目的の場所はどの辺? 此処からどのように行けばいいの? 食事や休憩場所は?・・・。このような情報が適宜入手できないと、来訪者に不安を与えることになるかもしれません。また、訪ねる施設や観光ポイントには、説明表示(板)が設置されているものと期待しているのではないだろうか。
一般的に、大勢の人が集まったり訪れたりするところには案内表示(板)を設置するが、これは人々の利便性を考慮すると同時に、街のイメージアップを図る目的も多分に持っている。
来訪者は案内表示に従って歩けば、効率よく、迷うことなく、楽しく散策できる。設置場所も含めてそんな案内表示(板)が望まれ、設置するときには観光客や来訪者の目線で考える事が大切といえます。
このような観点から旧城下町地区や観光ポイントの案内表示(板)を観察すると、なかなか合格とは言い難いというのが現実ではないでしょうか。
地元に住んでいると、別に案内表示に頼らなくとも日常生活にはそれほど支障はないが、初めて訪れる、特にシニア層の人たちにとっては、坂が多く、歩道の整備も十分でない細い道を移動するためには、気のきいた親切な案内表示は強い味方になる筈です。
訪れる人の目線での見直し、城下町に相応しい街並み景観も考慮したデザインと設置場所、これらには大いに工夫の余地があるように思います。
≪2013年7月 福山≫