本佐倉城(跡)の概要

城跡全景ー左外郭部、右内郭部
城跡全景ー左外郭部、右内郭部
千葉介勝胤画像(勝胤寺所蔵)
千葉介勝胤画像(勝胤寺所蔵)

■築城

文明年間 (1469~1486)頃

■城主

①千葉輔胤ー②千葉孝胤ー③千葉勝胤ー④千葉昌胤ー⑤千葉利胤ー⑥千葉親胤ー⑦千葉胤冨ー⑧千葉邦胤ー⑨千葉重胤

➔千葉氏は天皇の血をひく名族である。

➔統治していたのは下総国北部(現在の千葉県北部及び茨城県南部)

■廃城

天正18年(1590年)

➔豊臣秀吉の小田原征伐によって千葉氏は北条氏とともに滅亡。

➔これによって本佐倉城も廃城となる。

 

■城跡の規模

◇中世城郭として平成10年9月11日千葉県内最初の国指定史跡となる。

◇規模が大きく往時の城郭の形状や特徴が良く保存されている。

➔標高約35mの台地上に築かれた城跡

➔城域は東西約700m、南北約800m、面積約35万㎡

➔内郭群、外郭群、城下町を含む惣構えの構成

■本佐倉城(跡)と千葉氏の概歴

1454 享徳3 千葉氏の内紛により千葉城(亥鼻城)炎上
1455 享徳4

千葉宗家滅亡。庶家の馬加康胤が一時千葉氏を継承

その後、輔胤(岩橋殿)が千葉氏を継承(佐倉千葉氏)

1480  頃 文明年間(1469~1489)頃、輔胤・孝胤時代に本佐倉城を築城
1490 延徳2 本佐倉城下に市(いち)と(まち)ができる
1511 永正7 このころ、千葉勝胤が馬加から海隣寺を移す
1514 永正11

千葉勝胤が後援者となって城下で「雲玉和歌集」が編纂される

1528 享録元 千葉勝胤が菩提寺の勝胤寺を建立
1557 弘治3 千葉親胤が城内妙見宮で暗殺される。森山城主胤冨が家督を継ぐ
1573 元亀4

本佐倉城で火災が発生。千葉胤冨が城普請を命ずる

1585 天正13 千葉邦胤が城内で暗殺される
1589 天正17 北条氏政の子直重が千葉氏の名跡継承を図る
1590 天正18

小田原北条氏滅亡。本佐倉城落城。千葉重胤牢人となる

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